ペルシャ帝国イラン
JICAイラン駐在員事務所 企画調査員
小澤奈津子
2008年1月28日、一面雪で覆われたテヘラン空港に到着した。当初、イランにおいて、雪のイメージが全くなく、どちらかと言えば、太陽がギラギラしていて茶色いイメージを持っていた私にとって、白色のテヘランは衝撃的だった。さらに気温は-22℃を示しており、夏には40℃を超えるという。またイランでは、イスラム教でなくても、女性はかぶりものをしなくてはならず、機内アナウンスに従って頭に布をかけ、テヘラン空港に降り立った。

イランと聞くと、核問題、麻薬問題、経済制裁とネガティブなイメージが多い。現地の人からも「イランってイメージ悪いでしょ。よく来たね。家族は心配しなかった?」という会話が繰り返された。またイランは、北はカスピ海、南にペルシャ湾、その他にトルコ、イラク、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、パキスタン、アフガニスタン、クエートと国境を接している。国境沿いでは、さまざまな事件が頻繁に発生しており、日本の家族や友人は、ニュースの度に心配してくれた。しかしながら、イランの面積は日本の4.4倍の164万8千平方キロもあり、国境まで首都テヘランからはとても遠く、日本にいながら中国の山奥で起きている事件であるような、同じ国でありながら遠い土地での出来事であった。
マイナス印象の多いイランだが、ペルシャ猫、ペルシャ絨毯、ペルシャ商人、ペルシャ語と聞くと、ガラリとイメージが豪華絢爛に変わる。ペルシャ帝国は、現在のイランを中心に成立していた歴史上の国家であり、1935年にイラン帝国と改称している。しかしながら諸外国から異論があり、1959年にイランとペルシャは代替可能な名称となっているが、果たして、イランとペルシャ帝国がほぼ同じ地域を指しているということを認識している人は、どれくらいいるだろうか。特にシルクでできたペルシャ絨毯は、A4サイズで約200ドル(現地価格)、バブル期の日本ではその5~6倍で売れたという。そして何より、世界一交渉上手と言われるペルシャ商人の血をひくイラン人との交渉は、仕事面、生活面においても本当に頭を悩ませた。


私は、テヘランのJICA事務所で、企画調査員として3年間勤務した。主な担当業務は、雇用創出プログラムと省エネルギープログラムであった。イランは、全体人口7,473万人のうち、2,600万人が若年層であり、15~29歳の失業率は約20%と高い。イラン・イラク戦争で高年齢の人口が少なく、まさに戦後に日本が遂げた経済成長をイランにも実現するために中小企業振興などの案件が形成されつつある。またイランの石油確認埋蔵量は世界全体の10.9%にあたる1,376億バレル(2010年)、天然ガスの確認埋蔵量は10.6%にあたる29.6兆m3(2010年)であり、世界有数のエネルギー資源大国である。そして石油はイランの最重要輸出産品であり、外貨収入の75%以上をその輸出により得ている。経済成長と人口増加にともない、国内エネルギー総消費量もエネルギー総産出量の44%に達しており、石油消費量も増加傾向にある。今後、エネルギー消費量が継続的に増加した場合、イランの国家経済にとって大きな影響を及ぼす可能性があることから、エネルギーの効率的利用は重要な課題となっている。 イランは、現況の報道を見ると、ネガティブな印象を持ってしまいがちだが、実はポーテンシャルの非常に高い、魅力的な国なのだ!

以上