『初めてのアフリカ、ルワンダ』
トゥンバ高等技術専門学校強化支援プロジェクト
ソフトウェア短期専門家 白石 祐子
ウガンダの案件の連絡が入り早速インターネットでいろいろ調べ始めた。隣国は民族抗争やら大変な中、ウガンダはとても治安の良い国とわかり、ほっとした。何せ初めてのアフリカ出張なので緊張していた。後日、実は「ウガンダ」ではなく、その隣国の大変な国「ルワンダ」とわかり、慌ててインターネットを調べるとどうも暗いニュースばかりがヒットして、緊張が高まってきた。体力にはまったく自信がなく、日本からルワンダまでの計17時間程の飛行時間と7時間の時差も考えて、リポビタンDは10本+3本、5種類の胃腸薬と、細菌性に効く梅肉エキス、カルチャーショックに備えて心を落ち着ける漢方薬、山のような非常食、とスーツケースは技術移転以外の物でどんどん膨れ上がっていった。滞在先は首都キガリから北へ車で2時間、海抜2,000mのトゥンバ高等学校に宿泊の予定であった。お湯がないため、水のシャワーと東京で聞いた時、「水」⇒「高原」⇒「寒い」と連鎖的に浮かび、寒いのがとても苦手な私はその瞬間、「31日間の滞在中シャワーは浴びるまい」、と心に誓い、鼻息も荒く万全の体制で臨んだ。
[第一印象]
「えっ、とてもきれい!」というのがまずキガリの空港からホテルに向かうタクシーの中での第一印象であった。別に汚いイメージを持っていたわけではないのだが、砂漠とか荒涼としたイメージを持っていたことは確かであった。また「ルワンダはアフリカのスイス」と何かで読んだ気はするが、「ちょっと大げさなのでは」と軽く高をくくっていたのは事実で、これは深く反省。街にはごみや生ごみなどまったく見られず、また緑が多く草木や花はどこもきれいに手入れされていた。千の丘の国と呼ばれるように、緑の丘が多く、ネオンや看板・広告のない丘からの夜景は特に美しい。
[ヘルシーな食事]
初日に連れて行っていただいたレストランでは小魚を揚げた料理が出て、「海の魚ですか?川ですか?」と質問してしまい、まったく地理を理解していないのを露呈してしまった。ルワンダはほぼ赤道直下のアフリカの中央部に位置し、海には程遠い。せめて「湖ですか、川魚ですか?」と質問すればよかったと悔やまれる。
ルワンダの食事は意外にもとても健康的であった。ご飯、豆、芋、揚げバナナ、キャッサバ、スパゲッティ、肉(牛)、魚、サラダなどのバイキング形式が多かった。
[気候]
滞在したのは5月から6月中旬。ルワンダは赤道直下とはいうものの首都キガリでも高度1,500mあり、夜はホテルの毛布に包まれて寝て丁度良い気温。日中気温は上がるが、高原の爽やかな涼しさといったところで非常に心地よい。
[驚いたこと]
- スーパーやお店では環境保護のため基本的にはビニール袋は使わず紙袋に入れてくれる。街中でビニール袋がごみとして捨てられているのを見たことがない。
- 月に1回土曜日午前中に奉仕の日があり、各家庭から一人参加して、街の掃除や草木の手入れその他の奉仕活動を行うそうである。スーパーやお店はこの時間閉まっており、車の往来も少ない。日本の町内会の活動を全国規模で月1回徹底しているイメージかと想像した。
- 警察や官僚の賄賂がないとのこと。治安もかなり良い。シートベルトをしていないと警察官に停められる。
- 洗濯物を見えるように干してはいけないとのこと。
- 食品の衛生管理が良いとの印象を受けた。パンやお菓子などの食品を扱うときは直接手で掴まず、手袋やビニールで扱っていた。
- 一度首都キガリでカガメ大統領の車に道で出会ったが、カガメ大統領自らが運転していた。そういえば政府役人の車は半分は自己負担であるとも聞いた。
[内戦]
ルワンダで避けて通れないのはやはり3ヶ月間で80万人が犠牲になったといわれる1994年の虐殺の歴史であろう。カウンターパートがアレンジしてくれた首都キガリから西へ車で2時間のキブ湖ツアーの途中で寄ったニャンゲ村の元教会であった建物の中には、虐殺で犠牲になった方の人骨と武器として使われた斧が置いてあった。衝撃的であった。中の人骨が衝撃的であったのではなく、彼らと話すことはタブーとされていた虐殺の歴史、そのメモリアルセンターに彼ら自ら我々を連れて行ってくれたことが信じられなかった。「ルワンダでの虐殺の事実をぜひ皆に伝えてほしい」とのメッセージを受けた。
[最後に]
結局ドリンク剤には1本も手をつけず、薬もほとんど不要であった。首都のホテル滞在だったため毎日熱いシャワーを浴びることができた。”アフリカ、アフリカ!”と力を入れて来たが、気候、食事、人ともにとても心地よく、フェイントを受けた印象である。和解と部族融和政策の結果か、14年前に虐殺があったとは想像できないほど現在は治安が良く、悲惨な面影がないことがむしろ不思議であった。死刑制度を廃止して報復・暴力ではなく和解・寛容を選択したルワンダ、結果として被害者と加害者が共存する社会、外国人には計り知れない心情があるだろう、でも確実に平和を構築している。それもこれほど短期間に。その将来をぜひ期待したい。