シャタブディ・エクスプレス - インド鉄道の旅
主任研究員:環境調査アセスメント
湊 周介
午前6時10分ニュー・デリー発ラジャスタン州アジメール行の20両編成の急行「シャタブディ・エクスプレス」に乗り込んだのは出発の5分前であった。それから待つこと約15分、列車は予定より10分遅れて、まだ暗いニュー・デリー駅をじつに静かに出発した。窓外を見ていなければ、動き出したのがわからないほどである。プラットホームには誰かが吐き戻した跡があったし線路にもまったくゴミがないわけではない。それでも、16年前に当地を訪れたときよりも全体としてきれいな印象である。
この列車が出発するニュー・デリー駅の2番線に行くには、駅の改札らしい場所にある、飛行機の乗り口にあるような木のゲートをくぐればよいだけである。飛行機とは違ってスキャナーは付いておらず、かわりに警官のような服装の男たちがそばに数人立っていた。その隣には枠も何もない柵の切れ目があり、そこからも人が出入りしている。かつてはスキャナーの役割を担っていたであろう木の枠には現在は何の機能もない。だが、ムンバイで列車爆破事件があったインドのことである。何か事があれば再びスキャナーを取り付けて、乗客を一人ひとりチェックするのではなかろうか。そんなことになれば、この駅は地獄のような混雑に陥るに違いない。ともあれ、今はインドで列車に乗り込むのに、通常は改札口を通る必要はない。
1番線ホームにはユニフォームを身につけた中学生か高校生らしい女の子の一群が座り込んでいた。みな荷物を傍らに置いている。きっと修学旅行か遠足に出かけるのだろう。その子たちの脇を通り抜けて階段を上がると、屋根はあるが吹きさらしの跨線橋になっている。天井からは12本あるプラットホームの案内板がきれいに一列に並んでいて、そのそれぞれには出発時間と列車番号と行く先が赤い豆電球の文字で表示されている。跨線橋には蛍光灯が点いてはいるが、数が少ないのと吹きさらしのせいで夜明け前の暗闇のほうが目立つ。その暗闇の中で、豆電球の赤い光が、煤けたような着衣をまとう多くのインド人の頭の上で、妙な明るさを放っていた。遠距離列車のターミナル駅というものはこれから旅に出る着飾った人たちの明るい顔つきで華やかな空気に包まれるものだと思うのだが、ここにはそんな雰囲気はなかった。
2番線のプラットホームに降りると、列車の最後尾が予約した僕たちの乗る客車らしかった。乗車前に、入口の横に貼られたパソコンのラインプリンター用紙にプリント・アウトされた乗客名簿を連れのインド人の若者がチェックしてみると、ヒンドゥ語のデヴァナガリ文字で彼と僕の名前が書かれてあった。しかも年齢まである。何事もいい加減だと思っていたインドだが、そんなところに鉄道サービスの几帳面さが感じられて面白い。これは植民地時代から受け継がれた古き良き習慣なのだろうが、旧宗主国イギリスでさえ現在ではこんなことはしないだろう。そこに、経済的効率性(を圧迫する高い人件費)だけでサービスの質を計る世界とは無縁なインドが見て取れるように思われた。
客車に入ると座席がすべて進行方向に背を向けて並んでいた。こんな列車は初めてだ。ただし、衝突したときに背中が座席に押し付けられるのだから、衝突時に前を向いているよりも助かる確率は高いと思うのだ。飛行機に乗るときにはいつもそう思いながら座席のベルトを締める。運転を他人に任せる乗り物ならば、僕は後ろを向いて座るほうが好きだ。迫ってくる景色を見るよりも遠ざかってゆく景色を見るほうが旅は楽しい。旅の始まりは、遠ざかる日常生活に別れを告げるように景色を見るからだ。逆に、旅の終わりには、遠ざかる旅を想いながら日常生活へ戻ってゆく。だから、思いがけなくも、座席につくと同時に自分の想い通りにことが運ぶ場所へ戻ったような気がした。
座席の足元には鉄パイプが見えていて、黒いペンキが刷毛で塗られたということが一目で分かる。日本の田舎のバスだって、もう少しまともな座席を用いているのではないだろうか。しかし、布張りの座席は比較的すわり心地が良い。古いながらも、前の座席の背には飛行機のそれのようなテーブルと網袋が取り付けられてある。座席ごとの天井には扇風機が設置してあり、スイッチもある。これはエアコンがなかった時代の名残りだろう。今では涼しい朝なのに、エアコンの吹き出し口からはそれほど冷たくない風が、かなりの勢いで吹き出している。座席一つおきの壁には電気のコンセントも取り付けられてあって、四人一組で向かい合わせにすれば、そのコンセントでパソコンを使うなり、携帯電話の充電が出来るようになっているのだ。もちろん、電気代は無料である。
窓際の席に腰掛けて、1番ホームの暗闇の中にうごめく人たちを眺めるでもなく窓の外に目をやって黙って座っていると、新聞を配りに来た男がいる。後で知ったことだが、40歳前後のこの男はウェイターだった。しかし、黙って立っていれば普段着の乗客としか思えないような服装である。「シャタブディ・エクスプレス」という、翻訳すれば「世紀の急行」という意味で、インド国内の主要都市を最高時速120キロで結ぶ国内最高級列車のエグゼクティヴ・クラスの客車のウェイターとは思えない風体である。その普段着のウェイターが僕のところに英字新聞を置いていった。しかし、隣の人(連れの若いインド人は前の席で、座席が四人一組で向かい合わせになっていればお互いに顔を合わせていられる筈だった)が受け取ったのは僕のとは違う新聞である。飛行機の中でキャビンアテンダントが新聞を乗客に選ばせながら配るのとは違って、各種入り混じった新聞を上から順番に乗客に配ってゆく。そんなところは、やはりインド的なサービスなのだと思う。
しばらくすると「ビジネス・ワールド」といって、英語のニューズウィークのような体裁の雑誌も配り始めた。表紙には10ルピーという値段が書いてある。わずか30円足らずだが、鉄道会社が乗客に配るための雑誌ではないらしい。暇つぶしに、しばらくは新聞や雑誌を拾い読みしていると、普段着のウェイターが、今度は1リットル入りのミネラル・ウォーターを配っている。丁寧に小さな紙コップまで付いている。飲み水が必要かどうかということなど尋ねずに、こんなサービスを断るわけがないという態度で押し付けがましくペットボトルを置いてゆく。それを受け取った僕は、前の座席の背のペットボトルホルダーに入れた。
インドでは、乾季に水の入手が極端に困難な時期がある。今我々が向かっているラジャスタン州はパキスタンと隣り合わせになった乾燥地帯で、州の西半分は砂漠である。そこに住む人たちは、客が来れば貴重な飲み水を差し出す。アフリカならば、何らかの食べ物を差し出す。日本だって同じだ。訪問者に食べ物やお茶を差し出すのは、世界中の国々がどこも等しく発展途上国だった頃、家の中で一番貴重なものを客に差し出してもてなすという習慣の名残りなのだ。大切に育てている盆栽を囲炉裏にくべて暖を取るために燃やして客をもてなしたという江戸時代の話が日本にはある。武家の客にはお伽と称して女性を差し出したらしい。同じような習慣はエスキモーにもあって、冒険家の植村直美はそのことを恥ずかしそうに書いている。一期一会のためのもてなしの精神とは世界中どこでも同じなのだ。だから、シャタブディ・エキスプレスの中で大きなペットボトルの水を配るのは、水が希少な当地でなかなか良い乗客サービスだと思った。
シャタブディ・エキスプレスの乗車料金は一人当たり1,140ルピーのである。1リットルの水は町で買えば20ルピー、先ほどの新聞が2.5ルピーで、雑誌が10ルピーだ。日本でならば、11,400円の急行料金を支払ったら、200百円の水、25円の新聞、100円の雑誌が発車前に配られたことになる。支払った乗車料金とすでに配られた物の割合を考慮すれば、この旅の割安感はいやが上にも増してゆくではないか。