東南・西北対立inウクライナ?
ウクライナ日本センター ビジネス・コース運営部門
JICA短期専門家 玉井 政彦
読者の皆さん、ウクライナ滞在記の第2弾です。今月号では、政治関連情報とオデッサを少しご紹介します。
10月号でご紹介したようにウクライナは1991年8月に独立しましたが、それまで、ウクライナはロシアに次ぐ第2の有力共和国としてソ連邦経済を支えていました。独立から16年を経た現在、大統領は3人目、首相は13人目です。首相は、約1年で交代した勘定です。「オレンジ革命」当時に有名になったティモシェンコという美人の首相任期はほんの7ヶ月程度です。どうしてこんなに政権が交代するのか、政治工作がお好きな国民なのでしょうか。
2007年9月30日、一院制の「最高会議」の選挙が行われました。現在、ユーシチェンコ大統領、ヤヌコーヴィッチ首相が国の舵取りをしていますが、この両者は所属する政党が異なり少々厄介であるようです。憲法規定により大統領が首相を推薦し、最高会議が首相を任命する仕組みです。最高会議議員(議席数:450、任期:5年)の過半数以上をもつ与党連合が大統領に首相候補を提案する権限を持っていることから、最高会議議員の過半数をどの政党連合が占めるかにより首相任命の行方が決まります。9月30日の選挙の結果、現在、与党連合をつくるべく政党間で政治的駆け引きが続いています。かくして新首相の任命は来年初まで持ち越されるようです。
ウクライナを今回の比例代表制の選挙結果から見ると面白いことが分かります。東部・南部地域は現首相ヤヌコーヴィッチ氏の率いる地域党が圧勝しており、ロシア志向的といえます。これに対し、ユーシチェンコ大統領、ティモシェンコ女史を支持する西部・北部は欧米志向のようです。両地域ともその住民の中にはアジア人を中心とした有色人種やユダヤ人に対してよい感情を持たない人達が多く、特にロシア人にそういった排斥(蔑視)思想を持つ人が多いと聞きます。現に日本人を含むアジア人やアフリカ人が若者達に襲われる事件が最近増えつつあるようです。そこでウクライナ政府は国家保安庁内に人種差別対策部局を設置するとのことです。
11月7日、8日の一泊二日間、筆者は南部それも黒海に面するオデッサに滞在する機会を得ました。日本政府が資金を拠出している「欧州評議会」が主催する「ウクライナ政治研究スクール」のメンバーに対して「日本における品質管理の変遷と経済発展」と題する講演をするためでした。オデッサはロシア人住民の比率が平均よりも高い街です。7日の夜スキン・ヘッドと呼ばれる若者達に襲われないかと少々神経質になりながら、ライトアップされている優雅な趣の建築物を眺めていました。小さいながらもエカテリーナ女帝像がオペラ・バレー劇場近くの狭い広場に建立されていました。翌8日朝、雨上がりの「ポチョムキンの階段」で、「戦艦ポチョムキン」の水兵が反乱を起こした1905年当時はどんな状況だったのだろうかと思いを馳せました。当時、日露戦争末期、ロシア・バルチック艦隊が日本海海戦で壊滅した直後でした。帝政ロシアに対する革命の先駆として水兵たちの反乱は位置づけられているようです。
11月中旬、筆者はキエフにある「ウクライナ日本センター」での任務を終えました。4ヵ月半ばかり住んだキエフ中心部の建築物からは頑丈な石の冷たさが伝わってきますが、オデッサ中心街の街並みからはやさしい暖かみが伝わってきました。オデッサは昔から国際貿易港であったためか、垢抜けた感じがします。キエフは京都市と、オデッサは横浜市と姉妹都市関係にあることを付言して、今回のご報告とします。
以上