チュニジア思いつくまま
チュニジア・品質/生産性向上マスタープラン調査
食品加工専門家 杉本清次
地中海を飛び越えて首都チュニスに入ると、“白い国”というのが第一印象であった。緑が少なく、白っぽく平坦な土地に白か薄い黄色の建物が続く。ここチュニジアはイタリア南方にあってアフリカ最北端に位置するイスラム国。人口1,000万、1人当たりGDPは2,500ドルで経済水準はタイとほぼ同じである。
カルタゴ、ハンニバル、ポエニ戦争と続けば、昔習った世界史の授業を思い出す。そのカルタゴはチュニスの北東十数キロにある。今では高級住宅地となったこの地域を掘ればさまざまな遺跡が出てくるという。だが住宅が立ち並んでいるため部分的にしか発掘されていない。2150年ほど前、カルタゴとローマ帝国の最期の戦いとなった第三次ポエニ戦争のあと、ローマ帝国は、カルタゴが二度と立ち上がれなくするため、作物を育てられないようこの地に塩を撒いたという有名な話がある。しかし、チュニジアの地方にたびたび出かけている経験からすれば、この話は大げさに思えてならない。第1に、カルタゴ周辺には作物が育つ後背地がけっこうあることである。カルタゴに塩を撒かれても、近くに作物の栽培地を求めるのにさほど困らなかったはずである。第2に、かりにカルタゴに塩を撒いたとしてもその塩をどのようにつくり、どこから運んだかである。ローマ帝国では、塩は役人や兵士の給料の一部として支払われていた。サラリーの語源がサラリウム(ラテン語で塩)であることから示唆するように、塩は貴重品であった。それを限られた地域とはいえ耕作地に撒くには希少だった塩を大量に必要としたはずで、それをどのように調達し運搬してきたのか。チュニジアの南部には塩湖があり、塩が地表に堆積しているところがある。そこから船で運んできたかも知れないが、それにしても無理があるように思う。カルタゴに塩を撒いたという話が今に伝わるのは、属領地を多く抱えるローマ帝国が、「ローマに逆らえばこのようになるのだ」、と誇大に吹聴したからではないだろうか。
話は飛ぶ。7世紀にチュニジアはイスラム教徒のアラブに侵略され、約900年その支配が続いた。それから一時スペインの支配下に入ったあと、オスマン帝国、フランスの保護領へと変遷を重ね、1956年独立した。チュニジアのイスラムとしての歴史は、預言者マホメットの活躍した時とあまり変わらない時代から始まっている。それだけにイスラム文化が浸透している。たとえば音楽。われわれの耳には、音の多い切れ目のない単調なリズムの繰り返しに聞こえる。少し耳を傾けていると次第に眠くなるか、時によっては、イライラしてくる。じゅうたんや皿、モザイクなどのデザイン。シンメトリーで柄がいっぱい詰まっているものが多い。初めて接するとものめずらしさが先立つが、多くを見てくると目の詰まった柄の繰り返しに重たく感じてくる。たいていの日本人はそのため、チュニジアやそのほかの多くのイスラム国の音楽やデザインには“間”がないので息苦しく感じてくるであろう。このように空白を嫌うのは、ひょっとして静寂な半砂漠と青空だけという“間”だらけの単調な風景のなかで、時空を埋め尽くすことによって人間としての証をたてたいという所為であろうか。
さて仕事の話。チュニジアは食品全体では若干輸入超過になっているが、強い競争力をもつ品目もある。デーツ(なつめやし)もそうであるが、その筆頭はオリーブオイルである。オイル採取用のオリーブの実は、ピクルスにするものと比べて小さく、径の大きい方の長さが1cmほどで、1本の木から平均50㎏採れ、ここから12kgのオイルを搾油できる。オリーブの実はご承知のように、果肉と種の部分からなるが、搾油はこれを分離せずひっくるめて粉砕し、加熱したのち行われる[1]。生産量は20~30万トンあり、そのうち70%は輸出されている。輸出国としてはイタリアに次いで世界第2位であるが、残念なことにブランド力の弱さから、小売用のビン入りや缶詰になったものの輸出はごくわずかで、大半はイタリアやスペインにタンク単位で売られている。これらの国では、それをボトリングし、イタリア製やメイドイン・スペインのオリーブ油に変身させて輸出している。日本には、チュニジア産のオリーブオイルのほとんどはこのような迂回経路から入っているので、売り場で見つけることはまずない。それだけチュニジアのオリーブオイルは付加価値が低くなっている。ワインも同じような扱いを受けている。これは残念なことであるので、私は食品企業に機会があるごとに、つくる時の品質だけでなく市場での評価を意味する市場品質を高めることにも力を入れるべきだといっている。
チュニジア政府も、タンク売りよりずっと付加価値の高いビンや缶入りの輸出を促進しようと、タンクで輸出する金額に0.5%の課税をし、徴収したカネを、海外での展示会にオリーブオイルを出展する企業や商品パンフレットをつくる企業にその費用の資金援助に回している。しかし、1,000社以上あるといわれるオリーブオイルメーカーのうち、自社ブランドのパッケージで輸出しているのは6社だけである。この3月、日本のフーデックス(国際食品展)に出展したチュニジアのオリーブメーカーは3社だけであるのに比し、イタリアはもちろんスペイン、ギリシアなども一ケタ多い企業がブースを構えていた。これではオリーブオイルの輸出大国でありながらチュニジアのプレゼンスは低いままである。WTOでは個別企業が輸出を増やすのに政府があからさまな援助をすることを禁止しており、どちらかというと途上国には厳しく、強国には都合よいルールをとっている。そのなかであっても、基本的に食品で最も輸出競争力のあるオリーブオイルをより付加価値をつけて輸出するのに、もっと強力な支援策が必要であろう。
[1] 加熱しないで搾油するという昔ながらの製法もある。