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2006.04.01

シルクロードは夢を運び続けています

キルギスIT人材育成プロジェクト(本格フェーズ)

今朝は、通勤でほんの10分ほど外を歩いただけなのに、オフィスに着いた時は、ひげから小さなツララがぶら下がっていました。Webのお天気サイトによると、朝9時の気温が氷点下21度だそうで、ここ10年ほど熱帯の国で過ごしてきた身にはかなり堪える日々です。

ビシュケクより天山山脈を望む 私は、キルギス共和国の首都ビシュケクで2005年8月より実施されているIT人材育成プロジェクト(本格フェーズ)の専門家(総括・IT教育)として派遣されています。キルギスは、日本人にはあまり馴染みのない国ですが、旧ソ連邦崩壊直後の1991年に分離独立した中央アジアの国です。国土面積は約20万Km2(日本の半分強)、人口は約500万人で、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国に囲まれた内陸国です。

現在のシルクロード(ジベックジョル通り) 農業と鉱業が主な産業の小国ですが、最近はその豊かな自然を活かした観光にも力を入れており、日本人は完全にビザなしで入国滞在できます。ビシュケクからも天山山脈を間近に望むことが出来ますし、手軽なトレッキングコースや、温泉、それにスキー場もあります。本格的な登山には4,000~7,000メートル級の山がいくつもあります。また、キル「草原」をギス「走り抜ける」という意味のとおり、郊外には実におおらかな草原や丘陵が広がっていて、馬で家畜を追っている姿をよく目にします。

ブラナの塔と天山山脈 おそらく日本人にとって最も興味があるのは、国を東西に貫くシルクロード(天山北路)の存在でしょう。ビシュケクの街中では、ジベックジョル(直訳すると絹の道)と呼ばれていますが、写真のようにかなり交通量の多い大通りです。街中では、あまりに普通の道なので、ちょっと拍子抜けですが、この道を東に向かって車で一時間半ほど行ったところに、ブラナの塔という遺跡があります。天山山脈とカザフスタン国境の山々に囲まれた大草原のちょうど真ん中にあって、1000年程前にシルクロードを進む商隊の灯台として建てられたと推定されています。今ではだいぶ傾いてしまった塔に登って辺りを眺めると、1400年も前に大変な苦労をしながら旅をした玄奘三蔵に思いをはせることが出来ます。とくに冬はさぞ大変だったろうと身にしみて思います。

Virtual Silk Highway その昔、ラクダや馬で絹や仏典を運んだシルクロードですが、今では、トラックや鉄道で主に中国の物産品が運ばれています。とくに、キルギスは、その地理的な利点を活かし、他の中央アジアの国々やロシアへの中継貿易の拠点として栄えているようです。私のオフィスがあるキルギス科学アカデミーの建物の屋上には、Virtual Silk Highwayという名前のパラボラアンテナが建っています。NATOがインターネットの衛星回線用に寄付したそうですが、今では、シルクロードも電波で情報を運ぶ時代になったようです。

シルクロードのピクルス売り数千年以上前から様々な物を運び続けてきたシルクロードですが、ひとつだけ変わらないことがあります。それは、今も昔もそして未来においても「人々の夢を運び続ける」事でしょう。私も、シルクロードの東の終着点からキルギスの発展を願うという夢を運んできたように思います。大海の一滴のようなものですが、悠久のシルクロードの歴史の一員になれたようで、大変に誇りに思っております。

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