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2007.02.02

仏陀と太陽とほほえみの国、ミャンマーから

ミャンマー国ソフトウェアおよびネットワーク技術者育成プロジェクト

総括 玉置 彰宏

ミャンマーに来ると時々「あなたは仏教徒?」と質問される。「Yes」と答えると、質問をした人は安心したようにニッコリとほほえむ。しかし私とその人の仏教徒としての共通点はそう多くはない。ミャンマーの人たちは仏さまに対して大変敬虔で真摯である。その敬虔さ・真摯さはとても私のおよぶところではない。

たとえばミャンマーの国の人たちがパゴダに行って仏さまを前にすると、正座を崩したような形で床の上に座り、何度も頭を床にすりつけるようにして礼拝する。私にはとてもこのまねができない。私にできるのはせいぜい直立して両手を前で合わせ、頭を少し下げる程度である。

ホテルの窓からシュエダゴン・パゴダを望む

ヤンゴンコンピュータ大学の前の学長は、毎朝自宅で1時間仏さまに礼拝をするのが日課であると聞いた。あるソフトウェア会社の社長は年に一度少し長めの休暇をとって瞑想をするため、そのための特別の施設に赴くという。

仏教そのものも大変異なる。こちらの仏教はお釈迦さまの教えをそのまま2,500年以上も忠実に伝えてきた。そのため仏像はお釈迦さまの像しかない。お釈迦さまだけがすべての人のすべての苦しみや悩みを解決してくださる。そのためかこちらのパゴダには同じ顔の同じ姿勢のお釈迦さまの像が大変多い。

われわれの仏教には多くの仏さまがおられ、それらの間で分業体制が確立している。病気の人は薬師如来さまが、それ以外の苦しみや悩みは観音さまが、子供にはお地蔵さまがそれぞれ助けてくださる。三蔵法師がインドから仏教の経典を中国に持ち帰ってから日本に仏教が伝わるまでの1,000年ほどの間に、中国の人たちはお釈迦様の教えをもとにすばらしい哲学の大系を作りあげた。ミャンマーでパゴダに行くと、いつも2,500年以上も同じ教えを伝え続けているミャンマーの人たちの強靱さと、それを大幅に変革した中国の人たちのすばらしさを痛感する。

10月の始めぐらいに雨期が終わり、その後こちらの人が「冬」と呼ぶ乾期が始まる。1月のヤンゴンはその「冬」の真っ最中で、毎日朝から夕方まで雲ひとつない青い空が広がり、熱帯の太陽の光がサンサンとふり注ぐ。気温は日本の8月なみだが湿度が低いためか不快さがない。この時期に日本から来ると寒い木枯らしから解放される。この気候が私には大変嬉しい。

私は大学の教員をしていたのでこちらでも大学で仕事をすることが多いが、廊下で学生とすれ違うと、私が直接教えている学生でなくても年恰好などから先生の一人と分かるのだろう、私と視線を合わせてニコッとほほえんでくれる。これもまた、たまらなく嬉しい。

屋台の女性

古い話だが太平洋戦争の時、ミャンマー(当時のビルマ)には30万人ぐらいの日本の将兵が送られてきたらしい。その中の20万人ほどが戦死や戦病死で亡くなり、10万人程度が生き残って帰国したと聞く。この帰国した将兵は、全員が例外なくビルマ好きになって日本に帰って来た。中国、ベトナム、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど、この時に日本の将兵が送られた国は多い。しかし全員がその国を好きになって帰ったのはビルマだけだという。その理由はわからないらしい。しかし私にはどうもこのほほえみに理由のひとつがあるように思える。

太平洋戦争が終わってからこれまでミャンマーの人たちは経済的に厳しい状況に置かれてきた。それでもこのすばらしいほほえみを忘れないことは希有なことだと思う。今後経済が活性化し、ミャンマーの人たちの生活がもっと恵まれた状態になるとこのほほえみもよりすばらしいものになるだろう。

われわれはこの国のソフトウェア産業が力をつけることについてできる範囲でのお手伝いをし、それを通して経済の活性化を促進して、このほほえみを一段と素晴らしいものにすることを実現すべく微力をつくしたい。

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