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2012.04.17

エチオピア:時間とお布施

専門家 花井正明

エチオピア人は一般に誇り高い国民である。未だに暦は独自のものを使っている。グレゴリオ暦の2012年2月20日は、エチオピア暦では2004年の第6月の第22日に相当する。また、1年は13か月からなり、12か月はすべてひと月30日で、13か月目は5~6日しかないという。一日の時間の表示も特異である。国際人は太陽が中天にあるとき12時という。しかし、彼らは6時という。6時間マイナスして表現する。こうしたエチオピア独自の時間表現は、家庭の中だけかと思っていたが、先日訪問した、エチオピアで2番目に大きいパン・ビスケット・パスタなどを作っている食品メーカーでさえ、私の時計が午後の3時(15時)を指しているとき、会議室の時計は9時を指していた。大企業でさえ、外の世界との協調にはあまり関心が無いらしい。

EUビル入口とジャカランダ並木
日曜日朝のロバ(アジスアベバ市内)

「エチオピア」という言葉はギリシャ語起源で、焼けた(エチオ)顔(ピア)という意味だそうだ。確かに中東諸国の人から見ると、日に焼けた茶褐色の肌をしている。また、サブサハラ・アフリカの人々と比べると、顔立ちは一様に彫りが深く、かつてローマ、東京と2度のオリンピックで優勝したマラソンランナー、ビキラ・アベベのように静かに遠くを見据えた哲学的な顔をした人が少なくない。彼らの周辺では時間の流れは緩やかである。国際化とともにこうした人も少なくなるのかと思うと少し寂しい。

ライオン像と都市開発建設省[右奥]
都市開発建設省の大臣室よりアジスアベバ中心街を望む
日曜日も働くロバ(アジスアベバ市内)

エチオピア人は一般に信仰心が篤いようである。多くの人が朝早くから地区毎にある近くのエチオピア正教会でお祈りを上げているのを通勤途上よく目にする。一様に白い布を頭から被っている姿が印象的である。教会周辺では、年老いた人、目の見えない人、車椅子の人など働けない人たちが物乞いをしている。しかし、彼らは必ずしも卑屈な態度には見えない。ある日曜の朝、私は、ホテル近くのMedhane Alem教会の周辺を歩いていた。周りに幾人かの乞食が座っており、彼または彼女の前の新聞紙の上には幾枚かの小銭が置かれている。時折、通りすがりの通行人が、小銭を置いて立ち去る。私の目には、その通行人の身なりも、乞食とあまり変わらない位、一様に貧しく見える。

その時、たまたま目撃したのであるが、一人の青年が、乞食の前に立ち、一枚の紙幣を置き、次に新聞紙の上にある数枚の小銭を取り上げて立ち去った。青年も、乞食も無表情かつ無言のままである。おそらく日本人ならば、小銭のない時、わざわざ「お布施」はしないかもしれない。乞食からお釣りをもらってでも「お布施」をするという行為は、私にはとても新鮮で、驚きであった。そこには、「お布施」は乞食のためにわざわざするというよりは、自身の内心を満足させるため「お布施」をさせていただいているという無償の感覚が働いているように見えた。あるいは、意識せずに施しをすることが一般に日常化しているのであろう。グローバル化とは無縁なところで独自の文化を継承しているエチオピア人を見ていて、ふと、戦後、急速に国際化を進めてきた日本人が何故か健気で痛々しく感じたのは私だけだろうか? (了)

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